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恒久平和を願う

筑後市靖国神社

 

筑後市には、あの「靖国神社」が水田天満宮の境内にあります。

毎年、桜の咲く410日に靖国神社桜まつりが開催されています。

戦争のない平和な世の中でありますように・・・。

 

■■■経緯■■■

1954年(昭和29年)41日、八女郡羽犬塚町、水田村、古川村、岡山村の一部(大字前津、大字長浜)が合併し、筑後市が誕生しました。

戦没者遺族会も新たに筑後市で組織され、松本忠次郎氏が会長となり、活動を開始します。

その頃、終戦10周年を迎えようとしていたこともあり、筑後市でも慰霊施設建設の機運が高まっていました。

それで、当時の水田天満宮の宮司であった宮原昌勝氏が、慰霊施設建設に当たって神社本庁(東京都)に「靖国神社」の名称使用について問い合わせをします。

その神社本庁(東京都)の回答は否定的なものでした。

しかし、諦めきれない遺族会の松本会長は、同年523日、神社総代表彰式出席のため上京した際、神社本庁を交えて靖国神社に直接交渉をします。

その結果、なんと靖国神社の承諾を得られたのです。

その背景には大国魂神社の協力があったようです。

大国魂神社靖国神社は、五社会(旧官幣五社)で繋がっていました。

参考までに五社会とは、明治神宮靖国神社日枝神社東京大神宮大国魂神社で構成された戦前からある組織です。

当時の水田天満宮の宮司の宮原昌勝氏の妻(みち子氏)の父が大国魂神社の宮司の猿渡盛厚氏でした。

その縁で、水田天満宮の境内に靖国神社を建設するということで、大国魂神の猿渡宮司の強力な応援があったようです。

水田天満宮の宮司の宮原恭盛氏(みち子氏の子)の実弟である昌盛氏は、猿渡家の養子となり、大国魂神社の宮司を継承され、その血縁関係は今も続いています。)

その後、1955年(昭和30年)128日、筑後市靖国神社奉賛会が結成され、募金活動が始まることになりました。

同年1125日、水田天満宮の境内にて起工式が行われ、工事は太宰府天満宮の宮大工であった松島茂氏が請け負っています。

そして、1956年(昭和31年)56日、ついに建設工事が完了。

同年1012日、靖国神社から分霊された筑後市関係1275柱の鎮座祭が執り行われました。その際、靖国神社から御神盃を拝受。

翌日13日、筑後市靖国神社と筑後市との合同慰霊大祭が行われています。

この合同慰霊大祭は、自衛隊久留米駐屯地の音楽隊も参加し、盛大なものでした。

1958年(昭和33年)56日、最後まで募金活動を続けていた筑後市靖国神社奉賛会が解散。

戦後間もない貧しい時代、苦労に苦労を重ねて集めた募金の金額は、4,157,151円でした。

<出展>「筑後市靖国神社の歴史 もう一つの靖国神社」

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総桧の本殿です。

 

九州二大天満宮の水田天満宮です。

 

恋愛の神様で有名になった恋の木神社の東側にあります。

 

水田天満宮の境内です。